猿面冠者【お試し版】

 まず始めに断っておく必要があるだろう。
 この物語は極めて平凡な私の半生を綴ったモノである。決してそれ以上では無いが、それ以下ではあるかもしれない。その殆どについて、およそ語る必要はないと思う。しかし可笑しくもこのような運びとなった。語りたくて語るのではない。それは諸君らも充分に知っていよう。
 ……私の人生で特筆すべきモノがあるとすれば、それはやはり三度の手紙である。
しれで私の人生が幸、不幸のどちらに転がったかはともかく、私は、その三度の便りに随分救われた。いや、私は幸せ者である。その一つとしてなかったら、私はいまここに立ってはいなかっただろう。べつに立ちたくはなかったが。
 一度目は二十二の年の元旦、二度目は二十八歳の冬、三度目はついこの間、四十五歳になった夏。……もしかしたら、五十幾つかの冬に私はまた幸福の手紙を受け取るかも知れない。だが、先の事は語れぬ。その時はその時。
 とりあえずは、二十二歳の事から語り始めよう。あの頃の私は、兎にも角にも阿呆な若者であった。
 二十二歳の元旦とは言っても、物語は十八の春から始まる。



 十八歳の春。私はなんとか地元の進学校を卒業し、やっとこさ都会の大学に進学した。小学生の時分はこれから勉学に励む年数を数えて呆然とし、大学はおろか高校すらも行かぬと誓ったモノだったが、なんの気付けば十年以上も通っていた。つまりは、ただ遊びたかったからである。
 だからと言って、人と飲み歩いたりお姉ちゃんとイチャイチャする所に行ったりはしなかった。人見知りな上に金もない私にはとても出来ない事だったし、コレと言って興味をそそられた事もなかった。私はただ、ぶらぶらと怠惰に過ごしたかったのだ。
 上京した私は親にボロい汚い安いの三拍子の揃ったアパートを宛がわれ、そこに住む叔母と(これが私がこのアパートに送らされた理由である)、殆ど同棲のように暮らした。寝る時さえ自室に帰ったが、飯も何もせぬ私は殆どの時間を叔母の部屋で過ごしていた。
 叔母は恰幅が良ければ人も良く、一応、気遣って週に一度や二度学校に行く素振りをして家を出る私に小言の一つも漏らした事がなかった(あとで分かった事だが、この叔母は本当は赤の他人であり、更には父親の不倫相手で下宿しているボロアパートもこの叔母のモノだった。……しかし、私は彼女を本当の肉親のように思っているので、これからも叔母と呼ぶ)。
 それでも、桜が散り青々とした葉が茂り、散った花の代わりに青虫がボトボトと落ちてくる頃までは私も真面目に学校に通った。つまり、それ以降はまるで真面目に通わなかった。私は四年制の大学に六年間通った。
 にも関わらず、その頃の私の辞書に不安という二文字は無かった。いやさ、実は人一倍あったかも知れない。だからこそ怠惰に逃げていたのかもしれない。しかしそれは、離れて暮らす私の両親も、同じアパートに住む叔母もまた変わらなかった。彼らは無垢なまでの純粋さで私を信じていた。自分の息子は、甥は立派であると。もちろん、そんな訳がなかった。
 三年のある日、私は教室前の廊下で専攻していた助教に呼び止められた。彼は外見こそ恵まれなかったが、その分を脳に回した質の男だった。いいや、外見に恵まれなかったからこそ必死に勉強したのかもしれない。神は気紛れに一人に二物も三物も与えるが、それと同じくらい気紛れに何も与えない事もある(命があるじゃないか。これ以上何を望む!)。とにかく私は、外見に恵まれなかった矮躯な助教に呼び止められた。彼は言った。

「君、このままでは留年するぞ」

 私はその言葉の愚直さに唖然とした。そんなこと、今更言われずとも百も承知である(この男は、何も分かっておられんのだ)。私はやや俯き加減に応えた。鬱陶しさと、人前で教師に呼び止められた気恥ずかしさが、私をたまらなく落ち着かなくさせていた。

「しかし、どうしようもありません」

「なぜどうしようもないのだ」

「私には時間がないのです。仕方がないのです」

 私は適当に理由をでっち上げてこの場を逃れようと思った。しかし、男はしぶとかった。何とかして私を留年から逃そうと必死になった。その場その場は逃れられても、助教は私を見つける度に私を改心させようと企むのだ。
 しかし、そうなるとこちらも意地である。私は助教の行為をことごとく無碍にした。ときには、それを踏みつけにするような真似すらした。そんな事をしていると見る間に時は経ち、私の留年は確定した。驚くなかれ、この時の私には留年に気落ちするよりも、ついにあの助教に勝ち得たという喜びの方が大きかった。私はまるでへっちゃらであった。助教は最後に、「もう、私が君にしてやれる事は何もない」と言った。私は大いに満足した。それから言いようもない虚しさを覚えた。しかし、すぐに忘れた。そうするために、部屋に籠もって何冊も本を読んだ。奇しくも、これが私の初めての留年であった。
 私の前には、膨大な時間に裏付けされた虚無に似た世界が広がっていた。だが私の胸にあったのは強く輝く閃光のような希望であった。
 あるいはそれは当時の若者の殆どが一度は罹る(かかる)麻痺のようなものだったのかもしれない。とにかく、私の胸に抑えきれない衝動があったのは確かであった。私はそれをまるで人類から与えられた使命のようにさえ感じていた。
 この時、私はある企みを抱いていた。私にとって、一命を注ぐに値する企みであると思っていた。
 私はその頃、将来は小説家になるのだと密かに計画していた。

「さらばだ、凡人諸君!」

 私が六年通った大学の四年目(この時、私は三年)。つまりは本来卒業してしかるべき春、私は旧同級生達と単純でいて複雑な別れをしている最中にこの声を聞いた。

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