空色の贈り物【お試し版】
   プロローグ

 外から聞こえてくる鐘の音に、アリシアはベッドの中で薄く目を開けた。
 あれは、朝を告げる神殿の鐘だ。
 どの町でも毎日決まった時間に鳴らされる神殿の鐘の音は、人々が生活する上でなくてはならないものである。
 アリシアにとってもそれは同じで、一日の始まりに神殿の鐘が鳴らなければ間違いなく昼近くまで寝ていることだろう。実家にいた頃は毎朝母親に起こされていたが、神殿の寮に入ってからは間近に聞こえる鐘の音で目が覚めていた。特に冬は空気が澄んでいるせいか、鳴り響く鐘の音は建物の中にいてもはっきりと聞こえてくる。
 ただし、『目が覚めた』からといって『起きる』とは限らない。
(…………寒い)
 ひんやりとした部屋の空気に、アリシアは布団の中に深くもぐり込んだ。
 朝一番の鐘が鳴ったら、そろそろ起きなければならない。それはわかっている。わかっているのだが、冬の朝は寒い。暖炉に火が入っているのならまだしも、冷たい空気で満たされた部屋で起きるにはかなりの気合いが必要だ。
 それに比べると布団の中はたまらなく気持ちいい。やさしく体を包み込んでくる温かさは、まるで楽園にでもいるようだ。安物の毛布やシーツにさえも、その触り心地に何ものにも代え難い幸せを感じる。
 ずっとこの温かさを感じていたい、いつまでもこのぬくもりに包まれていたい……。 まぶたが徐々に重くなり、抗う気にもなれずアリシアは布団の中で目を閉じた。そこに、
「アリシア、おはよー!」
 すぐ側から元気のいい声が聞こえてきた。
 ルームメイトのミレーナだ。
 彼女は毎朝空が明るくなる前に起きている……らしい。その時間アリシアは深い眠りの底にいるので知らないが、朝の鐘が鳴る頃にはミレーナはいつも身支度を終えている。
「起きなよ、アリシア。朝だよ」
 と、布団の上から揺さぶってくるのも毎朝のこと。
 まるで母親のようだが、歳はアリシアと同じ十七歳だ。もっとも、背の低さと幼い顔立ちのせいでミレーナの方が三つほど年下に見える。気分的には妹に起こされているようで、いまいち起きる気がしない。しかも昨夜は寝付きが悪かったせいか、今朝はまだ眠い。
「んー、もうちょっと」
 ミレーナには悪いが、あと少しだけ寝かせてもらおう。そう思った時だった。
「ア・リ・シ・ア! 起・き・てっ!」
 大声とともに、布団と毛布が一気にはぎ取られた。押し寄せてきた冷たい空気に、アリシアは思わず「ひゃあ」と悲鳴を上げる。
「目、覚めた?」
 ベッドの横でミレーナがニコニコと笑っていた。緑色を基調とした制服に身を包んだ彼女の手には、布団と毛布の端が握られている。
「ちょっと! 何するのよ!」
 あわてて布団と毛布を取り返すが、眠気はすっかり吹き飛んでいた。
「起きないアリシアが悪いんだよー」
「だって、眠かったんだもん」
「眠いって、寝たのはそんなに遅くなかったのに……あ、なるほど」
 ミレーナの口元に、意地の悪い笑みが浮かんだ。
「彼氏が遠征でいないから、寂しくて眠れなかったんだぁ」
「ち、違うわよ」
「もうすぐ大つごもり祭だもんねぇ。恋人募集中のあたしよりも、彼氏がいるのに一緒にいられないアリシアの方が寂しいわよねぇ」
「だから違うってばっ!」
 思わず投げつけた枕を、ミレーナはクルリと回って避けた。後ろで一つに結んだ長い髪を揺らしながら窓際に駆け寄ると、
「今日はいい天気なんだから、早く起きないともったいないよ」
 ミレーナはカーテンに一気に開けた。薄暗かった部屋がさっと明るくなり、アリシアはベッドの上で目を細める。
「ほら、見てみなよ。すごい晴れてるよ。アリシアが好きな青空だよ」
 確かに窓の外には雲一つない空が広がっていた。 日が昇ったばかりなので色は白っぽいが、仕事が始まる頃にはきれいな青空が広がっていることだろう。
 ――そう。澄みきった冬の青空が。
 アリシアは窓の外を見つめ、小さくため息をついた。
 晴れた日は好きだ。
 青も好きな色である。
 けれど、冬の澄んだ青空を、アリシアはどうしても好きになれなかった。

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